Monday, November 27, 2006
Tuesday, November 14, 2006
ビミョーなパンツ
【ワンダージョックのアイデアは、女性がワンダーブラで胸を大きく見せたいのと同様、男性も股間を大きく見せたいと思っていることが、ユーザからのフィードバックで分かったことから生まれた。 世界びっくりニュースより】
どーよこれ?!ビミョーーーー!!!!
何?!男性もこういう事には気を使っている訳ですか?!
やっぱり『でっかいことは良いことだ!』な訳ですか?!
えーーー!!これってば脱いだらどーなんです?!
脱いでもすごいんです!なら問題なしか?!
え?!ホントになしか?!
いや、待て私!ちょっと待て。
脱いでもすごいんならいらないんじゃないのか?!
・・・あ、失礼しました
ワタクシ少々興奮して取り乱してしまいました。
でもね、これ売れてるらしいのよ!
興味のある方はこのサイトで購入出来ちゃう♪
ビミョーーー!!
Monday, November 13, 2006
ビミョーなジパング
ビミョーないじめ
いじめ問題が表面化してきて世間で騒がれている。
大人も子供もいじめという感情表現に怯えている。
いじめ問題は本当に根深いし歴史も古い。
いじめというのはそもそも価値観の違い、表現の仕方の違いに始まる。
臭い/ウザイ/キモイ等、個人が感じる部分を表に出したりすることで
周りが同調したり、悪意をもって仲間意識を結成するところから始まる。
正直に私の率直な意見を言わせてもらうと、
そんな価値観クソくらえ! だ。
いじめられる(そういう価値観で見られ偏見を受ける)側の気持ちが解る子なら
そんなことでいじめてしまう(偏った個人の価値観を表に出す)側を
なんとバカバカしいと思う事だろう。
そんな私もいじめに無関係だった訳ではない。
私が小学6年生の頃、同じクラスにいじめられている女子がいた。
理由は彼女の家庭環境に関わる事だった気がするが、
いじめる側は理由などどうでも良いのだ。
要は暇つぶしだ。刺激を求め、おもしろがっているだけだ。
いじめという感覚より、いたずらをしている・からかっている感覚に近いだろう。
実際、当時いじめている側のしている事は身体を直接傷を付ける事はなかった。
「臭い」「キモイ」等の言葉の暴力。
そしてその子のモノを隠す・壊すなど、本当に幼児じみたことだった。
だがある日、担任の先生がホームルームで彼女のいじめについて取り上げた。
クラスの全員を、
右;いじめている側、左;いじめをしていない側と2つに分けて座らせた。
私は左に座った。私は今でもこの事を後悔し、自分自身を恥じている。
ホームルームが始まり、いじめている側に
『なぜいじめるのか?』という質問を先生がした。
それぞれの言い分は本当にくだらない、たわいもない言い訳だった。
黙って左側に座っていた私に右側にいたクラスメイトから
「おい! harkaはなぜ左に座っているんだ!
お前もこっちだろう!一緒に笑っていたじゃないか!!」
その瞬間、私の中で色々な言い訳が頭をグルグル駆け巡った。
だが同時に必死に言い訳を考える自分がたまらなく恥ずかしかった。
そして哀しかった。私はなんと愚かなんだろうと。
自分自身は何かをしたつもりはないのだ。
でも、何もしていないこと=加害者なのだ。
きっといじめられている側はその時私の受けた気持ちと同じような思いでいただろう。
『私が何をしたの?どうしてこんな目に遭うの?』
私はこの時のホームルームのあの瞬間を生涯忘れないだろう。
そして、その瞬間を持てた事は私にとってとてもプラスになったと思う。
その後私は転校し、中学3年の時私自身がいじめにあうという経験をしました。
最初はそのいじめに気づきませんでした。
気がついたのは授業中。
落としてしまった消しゴムをとろうとかがんだ瞬間机の上がかすかに光ったのです。
なんだろう?と目を凝らして見ました。
机の上には鉛筆で机いっぱいに大きくうっすらと「死ね」と書かれていました。
胸が締めつけられる恐怖と絶望感に襲われました。
机に書かれた大きな「死ね」の文字。
いつから書かれていたのだろう、
誰が書いたのだろう、
それに気づかずに座っていた私を見て楽しんでいる人がこの中にいる。
私はそんなクラスの中で生活していたのだ。
ショックと恥ずかしさに涙が出てきました。
その後いじめは目に見える形でエスカレートしました。
言葉の暴力「こいつの隣は嫌だ〜!」
そしてそれを教唆するような笑いと喝采。
通学鞄を刃物で切られたり、教科書に落書きをされたり。
でも私は誰かに相談したりできませんでした。
それは私自身にもプライドがあったからです。
いじめられる=恥ずかしい事 という間違った価値観を持っていたからです。
親や友達には一切話しませんでした。
毎日少しずつ陰湿にエスカレートするいじめ。
実際同じクラスにいた親友もこのいじめには気づいていませんでしたが
私が耐えられずに泣き出してしまった時、
私の隣で私を怒りながら一緒に泣いてくれました。
彼女のその時の言葉が一生忘れられません。
「なんで泣いてるの?!言ってくれなきゃ解らない!!
あんたが泣く程悩んでる事に気づかない、解らない自分が悔しい」
私はあれから10年以上も過ぎた今でも彼女が大好きで、心友と呼べます。
彼女には本当に本当に感謝しています。
私はなぜ自分がターゲットになったのか、未だに解りません。
そしてこれからもそれは解らないでしょう。
私がそれを解らない事が原因になったのかもしれないとすら思っています。
先にも書きましたが、いじめの理由等何でも良いのでしょうから。
それは個人の価値観でしかないのですから私が解ることはなく、
またこうして生きて人並みの社会生活を過ごす事ができているのですから
私が解る必要もないのです。
今現在、こうして私がブログを書いている最中も
日本だけでなく世界中でいじめはおきているでしょう。
そしてそれは絶対になくなることはありません。
なぜなら文化や価値観の違いからくる差別・偏見はなくなることはないからです。
個人に至ってはもう価値観の違いを止められるはずはありません。
だからこそ、今いじめにあっている人達に言いたいのです。
他人の偏見に負けないで。差別に負けないで。
自分を誇りに思ってほしい。
いじめは大人になったらなくなるとは言えませんが、
少なくとも学校や会社という閉鎖組織の中で
あなたの価値観が受け入れられなかったとしても
それは一時的な場所でのこと。
あなたが生きる広い世界の中でのほんの狭い場所での事。
あなたが生きる長い時間の中でのほんの一瞬の時間でのでき事。
『全て』はあなたが生きて天命を全うする中でのほんの一瞬の出来事なのです。
ほんの一瞬の苦しみに負けないで。
負けるが勝ちだと思うならなおさら、
いじめている側をかわいそうだと思ってあげてください。
くだらない暇つぶししかできない人間なんだと。
そんなくだらない人に自分を評価されたくないと誇りをもってください。
自分自身を自分が大事にしなければ誰にも大事にはされないのです。
あなたはたった一人のあなたなのですから。
差別・偏見の中で生きる自分を大事にしましょう。
赤が好きな人もいる。
赤が嫌いな人もいる。
いじめってそんな中でおきる問題なんです。
そんな事、語ってもしょうがないよね。
ビミョーないじめに悩むな。


